電磁波発見の歴史

2007.7.1 平野拓一

電磁気学の歴史、電磁波発見の歴史

電磁界理論の基礎(マクスウェルの方程式と電磁波放射)

年代 分野
電気 磁気
紀元前7世紀   天然磁石の発見  
紀元前6世紀 ターレス(ギリシア)が琥珀をこすると物を引き付ける(静電気)ことを発見    
紀元前3世紀   中国で指南車(羅針盤)の発明  
300B.C.     ユークリッド(ギリシア)が光の直進性、反射の法則を発見
13世紀   ヨーロッパに磁気羅針盤(コンパス)が伝わる  
1269A.D.   ペレグリヌス(フランス)による磁石の極の記述  
1600  

ギルバート(イギリス)が磁石の性質を研究。地球が磁石であることを発見

 
1620     スネル(オランダ)がスネルの法則(光の屈折の法則)を発見
1660     フェルマー(フランス)がフェルマーの原理(光の反射・屈折の法則)を発見
1666     ニュートン(イギリス)による光の分散(プリズム)の発見
1669     バールトリン(デンマーク)が 方解石の複屈折を発見
1675    

レーマー(デンマーク)が木星の衛星の観測による光速測定をする

1678     ホイヘンス(オランダ)が光の波動説を提唱
1745 クライスト(ドイツ)がライデン瓶を発明    
1746 ミュセンブルク(オランダ)ライデン瓶を発明    
1752 フランクリン(アメリカ)が雷の正体は電気であることを発見
   
1780 ガルバーニ(イタリア)が動物電気(死んだカエルの足に電気を流すと動く)を発見    
1785 クーロン(フランス)がクーロンの法則を発見    
1799 ボルタ(イタリア)がボルタ電池を発明    
1801     ヤング(イギリス)が光の干渉、光の三原色を発見
→光は波動と考えられる
1808     マリュス(フランス)が反射による偏光(偏光角=ブリュースター角と関連)現象を発見
1815     フラウンホーファー(ドイツ)が太陽スペクトルの黒線を発見
1815     ブリュースター(イギリス)が偏光角の法則を発見
1816-1819     フレネル(フランス)が光の回折、偏光の波動論を研究
1820 エルステッド(デンマーク)が電流の磁気作用を発見  
1820 アンペール(フランス)がアンペールの法則を発見  
1820 ビオ(フランス)とサバール(フランス)がビオ・サバールの法則(微小電流素が作る磁界)を発見
 
1823     フレネル(フランス)がフレネルの公式(反射・透過係数の振幅を与える公式)を発見
1826 オーム(ドイツ)がオームの法則を発見    
1831 ファラデー(イギリス)がファラデーの法則(電磁誘導の法則)を発見、コンデンサの研究を行う  
1832 ヘンリー(アメリカ)が自己誘導を発見(インダクタンスの導入)  
1834

レンツ(ロシア)がレンツの法則を発見

 
1836 ダニエル(イギリス)がダニエル電池を発明    
1837 ファラデー(イギリス)が電気の近接作用論を提唱    
1845   ファラデー(イギリス)がファラデー効果(磁気旋光効果)、反磁性を発見
1849     フィゾー(フランス)が回転歯車による光速の測定
1850     フーコー(フランス)による光の波動説の主張。空気中と水中での光速の違いの測定が根拠。
1855 フーコー(フランス)が渦電流を発見  
1859 プランテ(フランス)が蓄電池を発明    
1860 キルヒホッフ(ドイツ)がキルヒホッフの法則を発見    
1864 マクスウェル(イギリス)がマクスウェルの方程式を発見(提唱)、電磁波の存在を予言、光の電磁波説を提唱
1870

ヘルムホルツ(ドイツ)が電磁波の境界条件を導出

1871     レイリー(イギリス)が分子振動子の観点から太陽光の散乱を研究(レイリー散乱)
1875 ローレンツ(オランダ)がマクスウェルの方程式、境界条件からフレネルの公式を導出
1875 カー(イギリス)がカー効果(電気光学効果)を発見   (カー効果は光にも関係)
1879     エジソンが白熱電球の特許を申請
1882 エジソン(アメリカ)がニューヨークに直流発電所を作る  
1887    

マイケルソン(アメリカ)とモーリー(アメリカ)がマイケルソン・モーリーの実験を行う(光波の媒質となるエーテルは存在しないことを実験で確認)
→光は波動ではない!?この時点では説明不能

1887    

ヘルツ(ドイツ)が光電効果を発見
→この時点では説明不能

1888 ヘルツ(ドイツ)がマクスウェルが予言した電磁波の存在を実験で確認
1895 ローレンツ(オランダ)が運動物体の電磁工学理論(ローレンツ力)を研究
1895 レントゲン(ドイツ)がX線を発見
1897 トムソン(イギリス)が電子の存在を実験で確認    
1897 マルコーニ(イタリア)が無線電信(イギリス-フランス間)に成功
1901 マルコーニ(イタリア)が無線電信(イギリス-アメリカ間)に成功
1905 アインシュタイン(ドイツ)が特殊相対性理論を発見(提唱)
1905 アインシュタイン(ドイツ)が光量子仮説を発見(提唱)
→電磁波の波動と粒子の二重性。マイケルソン・モーリーの実験、光電効果が説明可能

 自然科学分野における電磁波発見の歴史について説明する。表1に電磁波発展の歴史を示す。電磁波とは電気現象と磁気現象が互いに関連しあう現象である。また、光は電磁波の一部であり、電磁波そのものであるが、人間の目で見えるため、その性質の考察は電磁波全容の解明とは独立して、それ以前から進められていた。以下では重要なものをとりあげて説明する。

 紀元前7世紀頃、古代ギリシアの植民地の小アジア西岸、イオニア地方のマグネシアで天然磁石が産出されたと言われ、これより磁石はマグネットと呼ばれるようになったそうである。

 紀元前6世紀頃、ギリシアのターレスにより、琥珀をこすると物を引き付ける作用がある(静電気)ことが発見される。自然界には天然磁石が存在するため、電気現象よりも磁気現象の考察・研究が進んだ。また、光も目に見えるため直進性、反射の法則などは紀元前から知られていた。

 それから中世ヨーロッパでは磁力には魔術的、呪術的な色彩がまとわりついていたが、13世紀になるとヨーロッパに磁気羅針盤が伝わり、風車や水車などの使用による産業革命(現代からするときわめて緩やかであるが)による余剰と都市化により経済的余裕ができ、再び学術の発展が始まる。ペレグリヌスは最初の実験物理学の論文とも言うべき「磁気書簡」を著している。

 1600年以前にも磁気羅針盤は実用化されていたが、1600年頃にギルバートが地球が磁石だと気づいたというのは、1522年にマゼラン(ポルトガル)が達成した世界一周の航海により、地球は丸いということを知っていたからだと思われる。

 その後、1600年代は光に関する研究が盛んになり、スネルの法則(光の屈折の法則)、フェルマーの原理(光の反射・屈折の法則)、光速などの実験による経験則が得られる。しかし、これらはあくまで経験則であり、微視的にはどのような原理でそうなっているのかはまだわかっていない。この解明は後の1864年のマクスウェルの方程式の登場を待たなければならない。また、1687年にはニュートンが運動の法則と万有引力の法則を発見し、古典力学の基本法則が見出されていった。

 1700年代に入ると、ライデン瓶の発明で電気を蓄えることができるようになり、電気力の研究が進んだ。電荷間の力は距離の逆2乗に比例するというクーロンの法則も発見される。

 1800年代になると再び光の研究が進み、ヤングが行った光の干渉の実験から光は波動であると考えられた。また、偏光角(ブリュースター角)や反射・透過係数の振幅を与えるフレネルの公式も発見された。これらもまだ実験による経験則であり、原理の詳細な説明はマクスウェルの方程式の登場を待つことになる。さらに、1799年のボルタ電池の発明により、直流電流を流すことが可能になり、電流(電荷の流れ)と磁気の関係が発見される。それまでは無関係な現象だと考えられていた電気と磁気がつながったことは大きな進展である。無限長電流が作る磁界を求めるアンペールの法則や、微小電流素が作る磁界を求めるビオ・サバールの法則も発見された。安定した電池が使えるようになったので、電気回路も発達し、オームの法則やキルヒホッフの法則も発見された。時間的に変化する磁界と電流の関係も調べられ、ファラデーの法則(電磁誘導の法則)や自己誘導の法則が発見された。またファラデーはコンデンサについても研究を行い、交流理論の基本素子である抵抗R, インダクタンスL, キャパシタンスCが全てそろった。

 ファラデーが提唱した近接作用論も大きな影響を与えている。電荷間の力は直接に及ぼし合う(この考え方を遠隔作用と言う)のではなく、空間の性質を変化させ、それが広がっていってお互いに力が及ぼされるという考えである。近接作用論から電界という考え方が生まれた。さらにファラデーは1845年に、ある媒質に磁界を印加すると偏光面が回転するファラデー効果を発見し、磁気と光もなんらかの関係があるらしいことを発見した。

 電気、磁気、光は全て関連しそうなことがわかった。1864年にマクスウェルは電磁波発展の歴史の中で非常に重要な仕事を行った。コンデンサ内部の電束密度Dの時間変化は電流Iと同じ働きをする(変位電流)と考えて、アンペールの法則に変位電流も組み込んだ。アンペールの法則は「電束密度Dの時間変化は周囲に磁界Hの渦を作る」と言いかえることもできる。これは、「磁束密度Bの時間変化は周囲に電界Eの渦を作る」と言うファラデーの法則と同じ形をしており、電気(電界E, 電束密度D)と磁気(磁界H, 磁束密度B)は互いに対称な形で結ばれた。しかも、この方程式を解くと、電界、磁界ともに光速の波動となって伝搬するという結果が得られる。これが電磁波と呼ばれるものである。さらに驚くべきことは、電気、磁気の問題が繋がっただけでなく、偶然にも(偶然ではないのだが)電磁波の速度は光速と一致するのである。そこで、マクスウェルは光は電磁波であると予想したのである。この2つのこと、つまり「電磁波の存在」と「光の電磁波説」は一見矛盾なく今までの理論体系に溶け込むように見えるが、まだ数式から導いた思考実験の段階であり、現実世界を対象とする科学では実験によって確認しなければならない。電磁波の存在の確認は1888年のヘルツの実験を待つことになる。

 1870年にはヘルムホルツが電磁波の境界条件を導出した。1875年にはローレンツがマクスウェルの方程式とヘルムホルツが導出した境界条件を用いて光の法則であるフレネルの公式(1823年にフレネルが発見)を数式から導いた。当時、マクスウェルの理論の同調者は少なかったが、マクスウェルの方程式から光速だけでなく、フレネルの公式も得られることで、「光の電磁波説」の信頼性は高まった。

 1888年にヘルツはマクスウェルが予言した電磁波の存在を証明するために実験を行い、電磁波の存在が実験により確認された。ヘルツは実験のみならず理論も得意であり、微小ダイポールが放射する電気力線を著書に描き残している。

 ヘルツの実験装置を改良し、1897年にはマルコーニがイギリス-フランス間の無線電信に成功、続いて1901年にイギリス-アメリカ間の無線電信に成功して無線通信時代の幕開けとなった。

 このように、古典力学、電磁気学、電磁波と発展してきたが、電磁波の理論が確立する頃には、相対性理論や量子論への道が開けていく時代の流れがわかるのが面白い。また、電磁波発見の歴史とともに世界史を眺めると、当然ながら人類社会の発展との関連が見られ、非常に興味深い。


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